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    フラメンコ舞踏家アントニオ・ガデス、死去

    2004.07.22 Thursday 16:54
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      CASAには等身大ガデ「カルメン」のポスターが入り口に貼ってあります。

      マドリード――スペインの伝統的舞踏フラメンコを世界レベルの芸術表現として確立したスペイン出身の舞踏家・振付師、アントニオ・ガデスさんが20日、がんのためマドリードで死去した。67歳だった。

      スペイン南東部アリカンテ出身のガデスさんは、闘牛士やボクサーなど様々な職業を転々とした後、15歳で名舞踊家ピラール・ロペスの舞踊団に入門した。1964年に独立し、自分の舞踊団を作って本格的な創作活動を開始。

      74年にガルシア・ロルカの戯曲をベースにした「血の婚礼」を発表し、名声を確立。78年には新たに創立されたスペイン国立バレエ団の初代芸術監督になる。以来、「カルメン」「炎」などで評判を呼び、映画監督カルロス・サウラと組んだ映画「血の婚礼」「カルメン」「恋は魔術師」でも国際的に高い評価を得た。
       無駄をそぎ落とした長身を駆使して、暗い情念をたたえた歯切れのよい踊りを披露した。スペインの土俗的な舞踊と思われていたフラメンコを現代的なセンスで読み直し、洗練された舞台芸術に昇華させた。

      映画の脚本なども手掛けた。91年に引退を発表したが、古典劇にスペイン市民戦争への思いを託した「アンダルシアの嵐」を94年に発表し復帰した。

       熱烈な共和主義者で、75年、フランコ政権に抗した5人の活動家が死刑宣告を受けた際、抗議の意味を込めて4年間踊りをやめた。

       日本にも59年以降、度々来日。91年の日本公演を最後に引退を表明したが、94年に復活宣言し、日本でも公演を行った。

       故人の遺志でガデス氏遺灰、キューバに
      アントニオ・ガデス氏の遺灰が22日夜、故人の遺志によりハバナに到着、
      キューバ革命戦士の墓のそばに埋葬されることになった。

       大のキューバびいきだったガデス氏は亡くなる直前、カストロ国家評議会議長の弟ラウル氏にあてた今月14日付の手紙の中で「妻と娘たちが遺灰を届けるので、適切な方法で処理してください」と依頼していた。

       ガデス氏は1975年以降、たびたびキューバを訪問。今年6月にはカストロ議長から勲章を授与されていた。

      ホアン一色より。
      バルセロナ物語噴水の側で踊ったファルーカが忘れられません、
      格好良かったです、最近フラメンコの踊り手さんには無い格好良さで憧れていましたよ、
      私の足があと10センチ長ければ踊り手に成っていたかも、なんせ絵に描いた様な容姿短足なもんで。

      実は、フラメンコを水沢明雄さんや小松原庸子さんと同じ時期に同じ先生(八木マリさん)に習っていた時が有るんですよ、ちゃんと靴も作って。

      皮肉にも日本に現代的なフラメンコの演出手法を持ち込んだのもアントニオ・ガデスです、
      それまでのフラメンコの公演と言えば舞台にアルハンブラ宮殿作ったりして、大道具小道具に大変金を掛けた物です。

      アントニオ・ガデス日本での初公演は黒のバックに男性ばかりの踊りに、証明は舞台両サイドからの横の照明と当時では本当に斬新な演出でしたよ、豪華な舞台装置を想像してた私にとっては大変なショックでした。

      ガデスだから出来たわけです、悪く言えば全く金を掛けない公演でした。
      以後日本人の公演も殆ど大道具小道具に金を掛けない方向へ向かったのです。
      アントニオ・ガデスに憧れてフラメンコの道に入り込んだ人が沢山居ると思います。

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      2016.11.30 Wednesday 16:54
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        Comment
        今日は.始めまして.
        ガデス、死にましたね。本当に残念なことです。
        この3年間、HIVにかかっていたそうです.結婚4回、まあ色々なのでしょうね!
        「エル キホーテ」なんてのを企画していたそうで、本当に残念です.
        最近のパコのアルバム「コシータス ブエナス」を見るように、素晴らしい、円熟したものを、ガデスにも期待していました.
        67歳は、若過ぎますね!
        何と言っても、パコとガデスは、民俗音楽のフラメンコを、ハイアートとして、その質を高めたと思います.

        何とも、取り止めのない文章、申し訳ありません.

        キホ
        • Qvixote
        • 2004/07/28 5:09 PM
        ガデス、そうでしたか、悲しいです。そして、ほあんさんが踊りを習っていたなんてビックリです。子育てでフラメンコから遠のいてしまいました。今では、ホアンさんのホームページだけが情報源といっても過言じゃありません一人10役のほあんさん、まさかギターしいて、踊りまではむりですよね〜、わたしなんぞ踊りだけできっちきっちでした手をつないで帰りましたっけ。まだ中野坂上を自転車ではしってるう?赤い稲妻ホアンちゃん。5年位ご無沙汰しています。いつか行きたいカサ。ハーフの息子二人いちゃあなかなかむりかなあ。おばあちゃんに預けるって言っても、地球の反対側と九州じゃあね。ムリ。あ〜あフラメンコみたいなあ。ひとりごと。ホアンさんに会う日をまちこがれてイマス。ホアンさんはまだまだ元気現役ですよね。暑い夏を赤い服着て益々熱くしてくださいね。チャオ
        • コンドル今度
        • 2004/07/31 12:27 AM








           
        Trackback
        また、巨星がひとつ落ちてしまった。 でも、彼が残した残影は永遠だ。日本はフラメンコ・ブームとかで、多くの日本人が(大部分は女性)フラメンコ留学で来るようになったが、その種を多量に蒔いたのは、アントニオ・ガデスと言っても言い過ぎではないだろう。 私はフラ
        • スペイン・マドリッド海外生活ブログ
        • 2004/07/29 3:33 PM
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